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120 須恵器脚付短頸壺―宗像で流行した変な形の土器

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須恵器・脚付短首壺
須恵器・脚付短頸壺

古墳時代(約1500年前)の宗像は、須恵器と呼ばれる土器を焼いた窯が100基以上存在した、九州有数の生産地でした。ここで作られた須恵器は日常生活や墓への供え物に使われましたが、近年他の産地とは異なる宗像産製品の独自性が注目されるようになりました。その一つが今回紹介する宗像とその周辺で流行した脚付短頸壺(きゃくつきたんけいこ)と呼ばれる器です。

脚付短頸壺は、短い頸部(けいぶ)と、なだらかな曲線を持つ胴部に脚を取り付け波状文などを施した奇妙な形の器です(下写真参照)。6世紀後半から7世紀にかけて宗像地域から遠賀川中流域のあらゆる人々の墓から出土する半面、他の地域ではほとんど出土しません。

脚付短頸壺のルーツを考えると、朝鮮半島三国時代の新羅(しらぎ)、加耶(かや)諸国に類例が多いようです。特に加耶諸国を構成する南西部沿岸域の阿羅加耶(あらがや)や小加耶(しょうかや)の製品は宗像のものと酷似し、現在ではこの地域の製品がルーツと考えられています。

では、宗像と阿羅加耶や小加耶とはどのような関係があったのでしょうか。まず562年の加耶諸国滅亡と同時期に宗像で脚付短頸壺が出現していました。こうした朝鮮半島情勢と関連することは間違いありません。具体的に何をしていたのかは現在さまざまな方面から研究されていますが、例えば宗像の人々が朝鮮半島南西部に渡って活動を行った、逆に加耶諸国滅亡時に加耶の人々が宗像に渡り、朝鮮半島のモノ・コトを伝えた可能性などが浮かびます。このように脚付短頸壺は一見地味ですが、深掘りすると実は加耶諸国との交流を示す重要な器だということが分かります。

(文化財職員・太田)


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