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時間旅行ムナカタ第41回「邪馬台国論争入門」

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更新日:2021年7月28日

今回は、9月7日(日曜日)に宗像ユリックスで開催する「いせきんぐ宗像シンポジウム邪馬台国とムナカタ国」を、より一層楽しむための基礎知識として「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と邪馬台国論争のポイントを紹介します。

「魏志倭人伝」ってなに?

魏志倭人伝時々、「魏志倭人伝という書物はない」と言う人がいます。なぜなら、中国の歴史書『三国志』のほんの一部「魏書東夷伝倭人条(ぎしょとういでんわじんのじょう)」を略した通称名が「魏志倭人伝」だからです。

邪馬台国とほぼ同時代を生きた歴史家の陳寿(ちんじゅ/233年から297年)が記した、わずか2000文字足らずの記事をめぐって、プロ・アマを問わず今も論争が続いています。

1分間で分かる邪馬台国論争

邪馬台国の所在地は、文献史学で「魏志倭人伝」の示す距離や方位をそのままたどれば、邪馬台国は九州を飛び越え南の海の底になってしまいます。このことから、方角や距離が間違っている、あるいは解釈の仕方に問題があるとして、畿内説や九州説など、それぞれの立場に立った読み方が誕生しました。

考古学の視点では、畿内説は、景初3年(239)に卑弥呼が魏からもらったとある百面の銅鏡を、畿内から多く出土する三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と主張し、畿内説の論拠としました。それに対して九州説は、本場の中国から三角縁神獣鏡が1枚も出土していない事実や、倭人は鉄鏃(てつぞく=鉄のやじり)を使用しているとの記事を重視し、畿内より圧倒的に鉄製品の出土が多い九州に邪馬台国を考えるべきとしました。

この他にも、邪馬台国勢力は北部九州で成立し、畿内へ移り住んだという東遷説(とうせんせつ)も支持者を増やし、いまや百家争鳴の状況です。

現在は、最新の科学的年代測定を含めた考古学的な発見が、各説を左右している状況です。

邪馬台国論争の魅力

邪馬台国の謎の究明は、江戸時代中ごろに始まる、約300年の歴史があります。つまるところ、わずか2000文字をめぐる謎解きで、「魏志倭人伝」というテキスト片手にアマチュアでも参加できることが魅力です。そのため、奇説・珍説も数多く、これもまた楽しいものです。

「いせきんぐ宗像シンポジウム」は、考古学界を代表するパネリストが、最新の邪馬台国像を描き出すとともに、ここ宗像に「クニ」の存在した可能性を検討するなど、画期的で意義あるものと考えています。

注:同シンポジウムの申込方法など詳細は、市広報紙8月1日号(こちらをクリック)か、問い合わせを

(文化財職員・白木英敏)

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