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038 弥生の戦士と青銅器

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田熊2丁目で発見された田熊石畑遺跡

田熊石畑遺跡

出土品がこのたび、国の重要文化財に指定されました。指定品は、弥生時代中期前半ごろ(約2200年前)の銅剣などの武器形青銅器(ぶきがたせいどうき)、ヒスイ製の勾玉(まがたま)などの石製品、ガラス小玉などです。市では、発見から6年近くかけて出土品の詳しい調査を進めた結果、国の成り立ちを考える上で、きわめて貴重な考古資料だということが認められました。

ここがすごい田熊石畑遺跡

この重要文化財を出土した田熊石畑遺跡は、平成20年に発掘調査を実施し、弥生時代中期の「ムラ」と有力者の墓域(区画墓・くかくぼ)が見つかった遺跡です。区画墓内の6基の木棺墓を調査した結果、15点の武器形青銅器が出土し、1つの墓域から出土した武器形青銅器の数としては日本最多ということが分かりました。弥生時代の宗像地域に、沖ノ島祭祀(さいし/4世紀後半)が始まるずっと前から、北部九州屈指の有力者集団が存在し、弥生文化が日本各地に広まる上で重要な役割を果たしていたのです。

この遺跡は、平成22年2月に国史跡に指定された後、「いせきんぐ宗像」(田熊石畑遺跡歴史公園)として整備を進めていて、平成27年度全面オープンの予定です。

弥生人のあこがれ武器形青銅器

さて、弥生人にとって武器形青銅器はどのような価値を持っているのでしょうか。弥生時代が始まってしばらくすると、武器形青銅器は中国大陸や朝鮮半島から北部九州の主要な地域に伝えられます。しかし、「ムラ」や「クニ」の有力者ら、ごく一部の人々しか手に入れることができず、ムラ人には縁のない品でした。有力者たちは、黄金色に輝く宝器として長く大切にし、自分の墓に入れることを望んだのです。

この武器形青銅器は、土や石製の鋳型(いがた)に高温で溶けた青銅を流し込む「鋳造(ちゅうぞう)」という当時の最先端技術で作られています。青銅とは、銅とスズの合金で、純粋な銅をしっかり溶かすには約1200度という高温が必要ですが、スズを加えることで溶ける温度を下げ、しかも純銅より硬く丈夫に出来ます。

弥生時代を生きる

最後に、田熊石畑遺跡の区画墓に眠っているのはどのような人々だったのか考えてみましょう。副葬品に武器を多数持ち、現在のところ女性の墓がまったく含まれないことに注目すると、稲作や交易を指導する「ムラ」のリーダーであると同時に、いざとなれば、戦いを指揮する戦士集団の歴代トップとみることができます。土地や富への争いが頻発した弥生時代を生き抜くには、オールマイティーなリーダーが必要とされていたのでしょう。

(文化財職員・白木英敏)

区画墓全景
区画墓全景

区画墓出土の武器形青銅器
区画墓出土の武器形青銅器


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