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第18回「華やかに飾られた馬」

最終更新日:
(ID:4315)

小さな古代の馬

稲元で出土した土馬1

「馬」と聞いたときに頭に浮かぶのは、乗馬や競馬などで見るサラブレッドのような大きな馬ではないでしょうか。しかし、古代の馬は背も低く小さな馬でした。その大きさは、サラブレッドの肩までの高さが160センチから170センチに対し、古代の馬は130センチ前後と一回り以上小さいことが遺跡から出土した馬の骨から分かっています。ポニーくらいの大きさしかなかったのです。

では、日本にいつ馬がやってきたのでしょうか。弥生時代の日本について書かれている「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に日本に馬がいないことが書かれています。

しかし、現在までの発掘調査から、馬は4世紀の後半(古墳時代中期)には中国大陸や朝鮮半島から日本に渡って来たようです。5世紀以降になると古墳の石室に馬の絵が描かれ、馬形埴輪(うまがたはにわ)や土馬(どば)が作られるなど、国内に馬が広がっていったと考えられています。

こうして各地に馬を飼育する牧場が造られ、その地に根付き、木曽馬や道産子といった在来馬となっていったようです。

市内の稲元などでも土馬が出土し、馬が飼われていたようですが、土馬の足は短く背の低い馬であったことが想像されます。

馬を飾る馬具

国内での馬の広がりに合わせ、古墳の中から馬具が出土するようになります。日本に登場した初期の馬具は、朝鮮半島南部から入ってきたものでした。馬具には、馬を乗りこなすために必要なもの、馬を防御するためのもの、馬を飾るものがあります。中でも、馬を飾るものには、飾り板である杏葉(ぎょうよう)や馬の尻の上につける雲珠(うず)などに金銅製のものがあり、馬が金色に輝く装飾品で飾られていたことが分かります。これら以外にも馬の背中に旗を立てるための蛇行状鉄器(だこうじょうてっき)や首や尻に下げた馬鈴(ばれい)などで馬を飾っていました。

また、馬を乗りこなすための道具の中にも背に乗るための鞍(くら)や足をかける鐙(あぶみ)などに透かし彫りの文様など装飾がほどこされた金具が取り付けられ、よりいっそう華やかに馬は飾られていったようです。

そして、馬具は皮のベルトでつながれ馬に固定されていました。驚くことに馬具をつないだベルトの金具は現在の私たちが使っているベルトの留め金具とそっくりで、この留め金具もまた金色に装飾され馬を飾った装飾の一部となっていたのです。

これらの馬具にも流行があったようで、最新の馬具が流行の発信地であった中国大陸や朝鮮半島から次々と輸入され、後に国産化されていきます。国産化されていく中で、最新の流行が全国に広がり、各地で飼われていた馬たちを飾ったのです。

市内の古墳からもさまざまな馬具が出土しています。特に沖ノ島に奉納された杏葉や国内最大級の馬鈴、全国で十数点しか例がなく朝鮮半島でも確認されている蛇行状鉄器、沖縄など南の海に生息するイモガイの装飾品がついた雲珠などは海外との交易をしめす貴重な資料となっています。そして、祭りなどの行事があるたびに、馬具で飾られた馬たちがまちを歩き、華やかな姿を見せていたのでしょう。

現在、海の道むなかた館では、市内で出土した土馬や馬具を展示しています。ぜひ、一度見に来てください。

(文化財職員・沖田正大)

  • 浦谷古墳群出土の杏葉の画像
  • 稲元で出土した土馬の画像


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海の道むなかた館

【開館時間】9時から18時

【休館日】毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)年末年始(12月29日から翌年1月3日)

【入館料】無料(特別展示等の場合は、有料となることがあります。)

【駐車場】車:114台(身障者用4台)バス:6台

〒811-3504
福岡県宗像市深田588番地
TEL.0940-62-2600 FAX.0940-62-2601

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