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004 海人文化を掘り起こせ!モリ・ヤス編

最終更新日:
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謎の鉄製品は?

古墳には武器や農工具など、葬られた人物にゆかりの深い品々が副葬され、生前の活動を知る手がかりとなります。この副葬品の中に、時折、首をかしげるような不思議な物に巡り合うことがあります。

市内にある「田野瀬戸古墳」(全長38メートルの前方後円墳)は、6世紀前半ごろに造られた玄界灘東部地域の有力者の墓とされています。死者が眠る横穴式石室の中は、既に墓泥棒に荒らされていましたが、長さ10センチ前後、直径1センチほどの奇妙な鉄の棒のようなものが3本見つかりました。

一体、何に使われたのか、しばらく分かりませんでしたが、厚いサビを慎重に落としていくと先端に釣針にあるようなカエリが見つかり、この3本を束ねて長い棒にくくりつけた「モリ」か「ヤス」であることが分かりました。

モリとヤスの違いは?

どちらも魚やクジラなどの海獣を突き刺して捕らえる漁具で、先端が一つのものや複数のものがあります。「日本水産捕採誌」によると、柄を持ったまま突き捕るものをヤス、柄を投げて突き捕るものをモリと呼ぶのが一般的な定義です。

しかし、遺跡から出土したものを使用方法で区別することは難しく、考古学ではどちらも刺突具(しとつぐ)と呼ぶこともあります。

沿岸部の遺跡から出土

日本では、モリやヤスは縄文時代から出現し、弥生時代に盛んに用いられ、鹿角やエイの尾トゲ製、木製などが大半ですが、古墳時代になるとほとんどが鉄製となります。

宗像地域の海辺にある貝塚や古墳から、ごくまれに鉄製のモリやヤスが出土することがあり、海の幸を求めて海人が活動していたことが想定されます。

海人と武人

それでは、田野瀬戸古墳に眠る人物は漁民なのでしょうか。

その他の副葬品を見てみると、漁具の他にも桂甲(けいこう)と呼ばれるヨロイや矢を入れるための胡籙(ころく)など、当時でも貴重な武具が副葬されていました。どうやら、この人物は海人であるとともに武人としての性格も併せ持ち、平時は漁民として、有事には武人として活躍していたようです。

古墳が造られた6世紀の東アジア情勢は、百済と新羅の対立などで緊張関係にありました。百済を支援するヤマト王権は、半島出兵に際して北部九州沿岸部の海人に水先案内や兵役などを求めたとみられ、ムナカタ海人族もそれに従っていた可能性が十分あります。

海人の武器

このように、東アジア情勢と直結する玄界灘を活動の場とするムナカタ海人族にとって、モリやヤスは生活の糧を得るための漁具であるとともに、戦いではヤリや矛などの武器に準じるものとして大切にされ、死に際しては墓に納められたのではないでしょうか。

そういえば、ギリシャ神話の海神ポセイドンは、三叉槍(さんさそう・トライデント)という先端が三つに分かれた武器を手にしていますが、これも本来は漁具といわれ、生活のための道具と戦いのための武器は表裏の関係にあるようです。

(文化財職員・白木英敏)

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海の道むなかた館

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