更新日:2015年3月18日
シルクロードの旅(前編)
絹の道
シルクロードという名前は、「道」の名称として最も有名なのではないでしょうか。
絹が、中国からヨーロッパに運ばれたことから、19世紀、ドイツの地理学者・リヒトホーフェンが用いた「絹の道=Seidenstrassen(ザイデンシュトラーセン)/ドイツ語」が英訳され、「Silk Road(シルクロード)」として広まりました。
シルクロードは、陸路の「草原(ステップ)の道」「オアシスの道」、海上路の「南海ルート」の3つの道で構成されています。
中国とローマを結び、絹や宝石、香辛料、紙、陶磁器、ガラスなど、多くの物資が運ばれた貿易の大動脈です。現在でいうなら、「大陸横断道路」です。
また、さまざまな文化を伝え、世界中に大きな影響を与えた道です。
言葉に見る影響
例えば、日常生活で「胡椒(こしょう)」「胡桃(くるみ)」「胡麻(ごま)」「胡瓜(きゅうり)」などはよく使うのではないでしょうか。これらは、シルクロードを通りヨーロッパやインドなどから中国にもたらされた各地の特産品です。そして、これらに共通する「胡」の漢字は、古代中国では「異民族」や「中国より西側地域」を意味することから、シルクロードを示す漢字でもあります。
各国の様子を伝えた旅人
このような言葉の元になった物資や文化、各国の情勢は、1271年から25年に及ぶ大旅行を記録した「東方見聞録(とうほうけんぶんろく)」をまとめ、帰国後は、ベネチアの商人として活動したマルコ・ポーロや、629年から16年間、仏教研究のためインドを単身で旅し、「大唐西域記(だいとうさいいきき)」をまとめ、法相宗を開いた玄奘(げんじょう)ら、多くの旅人の手で各地に伝えられました。
そして、シルクロード沿線の都市は華やかに栄え、その残映を今もなお見せています。
シルクロードと宗像
最後に、宗像に見るシルクロードを紹介します。
世界遺産登録を目指す「沖ノ島」は、国家的祭祀(さいし)が実施され、「海の正倉院」と呼ばれるほど、多くの品が奉納された島です。この奉献品には、イラン周辺で作られたガラス製のわんなど、シルクロードで運ばれてきた品々があります。奈良や京都へさまざまな輸入品が運ばれる中、航海安全を祈り、貴重な品々が奉納されたのでしょう。宗像は、日本とシルクロードを結ぶ重要な地だったのです。
海の道むなかた館では、9月18日(水曜日)から11月24日(日曜日)、新市制10周年記念特別展「シルクロード~オリエントの世界~」を開催。シルクロードの代表的な地域・オリエントの世界、そこから運ばれたガラス製品などを紹介します。オリエントの世界を感じてみませんか。
(文化財職員・沖田正大)
注:市広報紙9月15日号で、シルクロードの旅(後編)を紹介します
沖ノ島に奉献されたカットグラス碗
このページに関する問い合わせ先
教育部 世界遺産課 文化財係
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601
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