更新日:2015年4月24日
バラエティー豊かな宗像の歴史・文化の話題を、今回から市の文化財担当職員が紹介していきます。
滑石で作られた形代
遺跡を発掘すると、まれに古代の人々が祭祀(さいし)をした痕跡を発見することがあります。遺跡からは、当時の祭祀の様子を垣間見ることができるだけでなく、遺跡の立地や環境から祭祀の対象物を知ることもできます。また、遺跡からは祭祀に使われた道具などが発掘されることがあります。
昨年の秋、大島の御嶽山(みたけさん)山頂の「大島御嶽山遺跡発掘調査」で、8世紀から9世紀を中心とした祭祀の遺跡の存在が明らかとなりました。そこからは、祭祀で使われた大量の遺物が発掘され、その内容がよく分かる成果が得られました。
発掘された遺物の中には、滑石(かっせき)と呼ばれる軟らかい岩石を削って作られた人や馬、舟などを模した形代(かたしろ)と呼ばれるものがありました。この時代には、滑石以外にも木や土でも形代が作られていますが、滑石で作られるというのはまれなことで、独自の祭祀の形を持っていたようです。
祭祀で航海の安全を祈る
同様の形代は、沖ノ島でも出土しています。沖ノ島は、朝鮮半島へ向かうために、島の巨岩を中心に航海の安全を願った祭祀が実施された島です。舟の構造が未発達で天候の予測が難しかった時代には、先進国である大陸へ向かうにも命がけでした。
沖ノ島と同様に大島御嶽山遺跡の形代の中に舟があることからも、沖ノ島と同様に大島御嶽山遺跡も航海の安全を祈るための祭祀の場だったのでしょう。また、遺跡が山頂にあることも注目です。
祈りで不安感を取り除く
古代の人々は、大きな自然の力を前に、計り知れない力を持つ神のような存在を認識していたと考えられます。山頂は神により近い場所であり、おそらくそこでさまざまなものを神へ捧げたのでしょう。
大島御嶽山遺跡では、甕(かめ)も多く出土していることから、酒や水なども甕に入れて山頂まで持って行ったのかもしれません。酒や水を入れて山頂まで運ぶ労力も大きかったことでしょう。
古代の人々は、自然現象などといった当時の理解を越えたものに対し、祭祀をして、祈りを捧げることで不安感を取り除いていたようです。
これらの考えや行為などは、一説には神道に通じるものがあるといわれています。日本の神道の成立を考える上でも、沖ノ島と並んで重要でまれな遺跡です。
(文化財職員・山田広幸)
祭祀で使われた人形の形代 山頂から出土した舟形の形代
このページに関する問い合わせ先
教育部 世界遺産課 文化財係
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601
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