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時間旅行むなかた第37回 田中幸夫と宗像の遺跡

更新日:2015年03月18日

海の道むなかた館では、4月26日(土曜日)から6月1日(日曜日)まで、春の特別展「田中幸夫と古代の宗像」を開催します。この特別展では、昭和13(1938)年に、全国に先駆けて造られた「宗像郷土館」の開館から閉館、そして、再生の過程をパネル展示する他、郷土の遺跡調査に大きく関わった田中幸夫が発見した遺跡について遺物と写真を展示します。

「宗像」の名を全国に広めた田中幸夫 

田中先生は、昭和7(1932)年に旧制宗像女学校(現在の宗像高校)に国史の教師として着任しました。田中先生は教壇に立つ傍ら、宗像を中心に郷土の遺跡調査や研究を実施し、その成果を著書や雑誌への投稿で広く世に発表し、「宗像」の名を全国に広めました。

今回は、田中先生が発見した多くの遺跡の中から、「鐘崎(上八)貝塚」と「釣川遺跡」を紹介します。

鐘崎(上八)貝塚
鐘崎(上八)貝塚

縄文時代の土器発見「鐘崎(上八)貝塚」

鐘崎(上八)貝塚は、上八に所在し、鐘崎から続く上八浜の海岸砂丘上(標高12.6メートル)の山側にあります。現在の海岸線までは、約150メートルの地点です。
この貝塚の調査は、昭和9(1934)年に、田中先生や九州大学の鏡山猛(たけし)さんが初めて実施しました。その結果、現地表の約1メートル下に、厚さ30ミリメートルから90ミリメートルほどの貝層がありました。

貝塚に接した北側では、木炭や焼けて赤褐色に固まった部分(約2坪余り)があり、石器が集中して見つかっていることから、住居跡と考えられています。

この遺跡から見つかった土器は、「鐘崎式土器」と呼ばれ、縄文時代後期前半(4000年前から3000年前)の標識遺跡(年代の基準となっている遺跡)となっています。

貝塚から出土した鐘崎式土器の一部
貝塚から出土した鐘崎式土器の一部

釣川の水位が下がると出現「釣川遺跡」

釣川遺跡は、昭和8(1933)年に釣川中流にかかる東郷橋から、下流へ約300メートルの釣川の川床にあります。

報告では、堤防上の県道(現在の県道69号)の拡張工事に伴って川床が掘削されて、土器や石器類が出土し、見つかった遺構(いこう)は、2基の竪穴(たてあな)でした。この遺跡の詳しい場所は分かっていませんが、現在の河東「向手」(むくて)に微高地が残っています。

その地形を復元すると、旧地形の入り海に、浮島のように立地する向手丘陵の存在が注目されます。この丘陵は、向手の北端標高10メートル付近(昭和41年以降に削平)を頂点とし、南へ200メートル、東西へ100メートル前後になり、遺跡はその丘陵南端に広がっていたものと考えられます。現在でも、釣川の水位が下がったときには、遺跡の一部を確認することができます。

釣川遺跡

釣川遺跡

田中幸夫の功績

田中先生は、この他にも精力的に旧宗像郡内の調査を実施しました。隣の福津市では、平成24年の調査で県内5個目の発見となる土笛(つちぶえ)が出土した香葉(かば)遺跡や、古代の瓦が出土した神興廃寺(じんごうはいじ)などが田中先生の発見です。

これらの成果をまとめ、展示公開したのが「宗像郷土館」です。戦後、残念ながら廃館になってしまいましたが、大部分の資料は宗像高校にある四塚会館に収蔵され、一部は展示されています。

今回の春の特別展を通して、市の文化財調査研究と保護の歴史をひも解くとともに、これからの文化財保護に生かしていきたいと思います。

(文化財職員・坂本雄介)

このページに関する問い合わせ先

市民協働環境部 郷土文化課
場所:海の道むなかた館
電話番号:0940-62-2600
ファクス番号:0940-62-2601

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