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世界遺産への道56 ≪宗像大社辺津宮の境内(江戸時代編)≫

更新日:2016年04月05日

古代・玄界灘を舞台に、日本と大陸の航海交流の要衝として信仰が生まれた宗像大社。その信仰は現在も続いています。

国指定史跡の「宗像神社境内」について、3回シリーズで紹介します。2回目の今回は、江戸時代です。

末社と絵馬堂

本殿・拝殿を囲むように120もの末社が21の社に祭られています。これらのほとんどは、17から18世紀ごろの建造物で、第三代福岡藩主・黒田光之が延宝3年(1675年)、宗像郡内の末社を合祀(ごうし)し、建てたものです。

末社の配置は、江戸時代からほとんど変わっていませんが、当時の絵図から現在の宇生(おう)神社は第二宮、絵馬堂は第三宮であったことが分かります(左上記絵図参照)。

本殿の周りに並ぶ末社
本殿の周りに並ぶ末社



社家などが奉納した灯籠

辺津宮境内にある石塔で、最も古いのは、黒田光之が末社を合祀した年と同じ年の灯籠です。この灯籠の胴部には、神社を運営・管理する社家(しゃけ)の一つ、深田氏の奉納であることが銘文に刻まれています。これ以降、光岡村、曲村、田島村(上殿、片脇、宿谷)、村山田村、勝浦村など、宗像郡内の村や集落から灯籠などの奉納が盛んに実施されました。

 

聖水が湧く飯井水

護国神社の裏には、飯井水(いいすい)と呼ばれる井戸があります。江戸時代の絵図には、必ず描かれている井戸は、神事や祭事で使う聖水をくむための清らかな水が湧いていたようです。

江戸期の辺津宮境内は、福岡藩や宗像郡内の各村から手厚い信仰で支えられていたことをうかがい知ることができます。

宗像宮図「筑前国続風土記附録」(1793年)
宗像宮図「筑前国続風土記附録」(1793年)

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