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後世へと伝えるべき「宗像遺産」として
「海北道中(うみのきたのみちのなか)」と文化伝来
玄界灘は古代から大陸との航路として、朝鮮半島や中国、果ては遥か西域から、きらびやかな文化をわが国にもたらしました。
漂泊の俳人として知られる種田山頭火が詠った神湊から、まっすぐに延びた延長線に大島、沖ノ島、さらには朝鮮半島があります。この道筋は「海北道中(うみのきたのみちのなか)」と呼ばれる海の道。宗像氏が海人族の時代から往来し、支配してきた海の道でもあります。
毎年10月の1日から3日にわたって行われる宗像大社の秋季大祭の初日に行われる「みあれ祭」は、そんな海と信仰に生きた宗像の人々を象徴するような神迎えの神事。宗像大神の象徴である紅白の布を船の旗竿につけた数百隻の大船団が、中津宮(なかつみや)から辺津宮(へつみや)へと、三女神の御分霊を乗せて、絵巻物さながらに海上神幸(かいじょうしんこう)を行います。
価値ある歴史と文化が息づく宗像
また、神湊から美しい松原が延びる先には、『万葉集』に「ちはやぶる金の崎」と詠われた鐘崎(かねざき)があります。響灘と玄界灘の境にあるこの海の難所には、大陸から贈られた大鐘(おおがね)が沈んでいるという伝説があります。明和8年(1499)、大宮司宗像氏国(うじくに)がこの鐘の引き揚げを試みたものの、突然大嵐が起こり、龍神の祟りだと断念したと伝えられています。このとき、海面に翁(おきな)の面が浮かび上がり、鐘の代わりに宗像大社に奉納され、今でも秋季大祭には、この古面をつけた翁舞(おきなまい)が奉納されます。
このほかにも、中世の「浜殿五月会(はまどのさつきえ)大神事」を再興した5月5日の「五月まつり」や、古代中国の天の川伝説をしのばせる中津宮の「七夕まつり」など、宗像大社の祭事は、時代に応じてさまざまに変化しながらも、昔ながらのならわしや海の祈りと結び合い、現代まで大切に受け継がれてきました。
沖ノ島の神宝を筆頭とする貴重な遺物や遺跡とともに、歴史や風土に深く根差した多くの神事や歳時がいまもいきいきと息づいている宗像は、後世に伝えるべき価値のある「遺産」を抱く地として、今、大きな注目を集めています。







