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未来につなごう私達の宝「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産に
提案のコンセプト
海の正倉院・沖ノ島は、東アジア最大級の祭祀遺跡である。豊かな自然と遺産群が共生し、「神宿る島」として人々の信仰や禁忌は現在まで継承されている。日本固有の神道における崇拝形態の変遷を確認できる国内唯一の遺産である。
ユーラシア大陸の東端に位置し、海を介して独自の文化をはぐくんだ日本は、古来、朝鮮半島や中国大陸との交流によってその基礎が築かれた。本遺産群は神聖な島として古代において対外交渉に関わる祭祀が行われた沖ノ島、祭祀に関わった胸形(宗像)氏の墓域である津屋崎古墳群、そして信仰を継承している宗像大社から構成される。
沖ノ島の祭祀遺跡から見た世界との交流
沖ノ島においては、4世紀後半から約500年間にわたり連綿と祭祀が行われた。発掘調査の結果から、祭祀の場は、巨岩の上で始まり、岩陰、露天へと時期を追って変遷したことがわかり、23 ヶ所の祭祀遺跡が確認されている。その祭祀で供えられた品々には新羅製の金製指輪や透彫を施した馬具、遣隋使及び遣唐使によりもたらされた金銅製龍頭や唐三彩、はるか遠く中東からシルクロードを経て伝来したカットグラス碗片等がある。これらを含む約8万点にのぼる品々はすべて国宝に指定されており、沖ノ島は「海の正倉院」と称されるにふさわしい。
胸形一族とヤマト王権
この沖ノ島での祭祀に航海技術を提供することで深く関わっていたのが、東アジアとの窓口でもあった宗像地域を拠点として、海人たちを束ねていた胸形氏である。沖ノ島祭祀が開始された4世紀後半は朝鮮半島情勢が極めて緊迫していた時期であり、海上交通路の確保のためにヤマト王権は胸形氏と密接な関係を結んでいた。国宝に指定された馬具・冠等が出土した津屋崎古墳群の中の宮地嶽古墳は7世紀前半の築造で、天武天皇に嫁して高市皇子を生んだ尼子娘の父の胸形君徳善の墓と考えられている。そして8世紀に成立した古事記や日本書紀には、胸形氏が祀った沖津(沖ノ島)・中津(大島)・辺津(田島)の宗像三女神についての記述が見られる。中世以降の沖ノ島
古代の沖ノ島での国家的祭祀は、遣唐使の廃止を主な要因として終焉を迎える。その後、胸形氏は、中世には宗像郡を掌握する宗像大宮司家として中国大陸、朝鮮半島と交易を行っている。沖ノ島は玄界灘航行の際の精神的支柱となり、その信仰は絶えることはなかった。中世の御長手神事はおよそ400隻の漁船が船団を組んで姫神をお迎えする現在の「みあれ祭」に継承されている。また、沖ノ島周辺を漁場とする漁師たちは島の神聖性を重んじ、近世初頭に至ると上陸前の禊、女人禁制、一木一草たりとも島外にも持ち出さないことなどの禁忌が生まれ、これらは今も守られている。
未来へ残す貴重な遺産
沖ノ島は、日本と韓国との間にある玄界灘に位置する周囲4km足らずの無人島である。島の内部は、太古の自然が残る原生林と巨岩群からなり、日ごろは波の音、風の音、鳥の鳴き声のみが静かに流れる別世界である。沖ノ島における祭祀は、対外交渉の成就や航海の安全を願って、執り行なわれたものであり、島自体が、国内最大級の祭祀遺跡である。また、その祭祀に関わった胸形氏の古墳群も宗像の海岸部などに良好に保存されている。
自然崇拝から今日の社殿祭祀に至る過程が純粋な状態で保たれている国内唯一の遺産である。豊かな自然と遺産群が共生し今もなお、人々の中に信仰が脈々と生き続けている。このような遺産は世界的にみて他に例がない。
本遺産の範囲
本遺産は、宗像本土から約60キロ離れた孤島、沖ノ島を中心として、沖ノ島の古代祭祀に深く関った胸形氏(宗像氏)の古墳群と信仰を現在まで継続している宗像大社から構成されています。具体的な資産としては、宗像大社辺津宮・中津宮・沖津宮と津屋崎古墳群・東郷高塚古墳・桜京古墳です。東郷高塚古墳と津屋崎古墳群の一部を除きすべて国指定史跡です。

